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2014年3月25日(火)23:49(+0900)

万葉集の読み上げ動画と、その作成における若干の問題

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最近、万葉集の第一巻の読み上げ動画を作成しました。

以上は、万葉集の「通常の」読み上げです。ただし、後に示すように何をもって「通常の」読み上げとするかには、やや問題があります。

また、上代日本語の推定音での読み上げも作ってみました。

「上代日本語の推定音」と言うと何だか難しそうですが、実際のところは通常の読み上げより簡単です。上代日本語の具体的な発音については諸説ありますが、その中のどの説を 採用するかを決めてしまえば、あとは「書いてあるとおり」に読めば良いだけだからです。

万葉集の「通常の」読み方

万葉集の「通常の」読み上げを作るにあたっては、具体的な発音をどうするかでやや悩みました。

おそらく飛鳥時代にその原形が作られ始め、奈良時代に成立した万葉集ですが、当時はまだ漢字とは別の文字としての仮名が成立していなかったので、万葉集の原文は全て漢字で書かれています(万葉仮名)。万葉集の歌は、漢字の音と訓を混ぜた難解な表記を行っているものが多いのですが、平安時代から現代に至るまで歌の解読が続けられ、現在では、なお未解読の歌もあるものの、万葉集のほとんどの歌の読みを仮名であたることができます。

万葉集と「歴史的仮名遣い」

さて、万葉集の歌の読みは、通常はいわゆる「歴史的仮名遣い」で表記されますが、万葉集を「歴史的仮名遣い」で表記することには若干の問題があります。そもそも「歴史的仮名遣い」とは、仮名の成立した当初、すなわち平安時代初期の日本語音を規範とする日本語表記方法ですが、万葉集に収められている歌はそれ以前の奈良時代や飛鳥時代のもので、その表記方法も、どんなに遅くとも奈良時代の日本語音に基づくものと考えられます。

この奈良時代以前の日本語、いわゆる上代日本語は、平安時代に成立した一般的な古典日本語(中古日本語)とは微妙に異なっています。上代日本語の発音は、「歴史的仮名遣い」では表記しきれないところがあり、例えば上代日本語には「ア行のエ」と「ヤ行のエ」と「ワ行のエ(ヱ)」の区別がありましたが、これらのうち「ア行のエ」と「ヤ行のエ」を区別する手段は、通常の「歴史的仮名遣い」には存在しません。

「歴史的仮名遣い」の読み方と上代日本語

万葉集で用いられている上代日本語は、通常の「歴史的仮名遣い」では正確に表記することはできませんが、これは万葉集を「通常の」読み方で読む上では必ずしも問題とはなりません。しかし、それとは別に、万葉集の仮名表記を読む場合、「歴史的仮名遣い」の通常の読み方を適用して良いかどうかという問題があります。

「歴史的仮名遣い」では、たとえば「てふ」と書いて「チョー」と読みます。そもそも「チョー」と読むものを「てふ」と書くのは、平安時代初期の日本語では「てふ」を文字通り「テフ」と発音していたからです。それが後の音変化で「テフ→テウ→チョー」と変化していき、結果として「歴史的仮名遣い」では「てふ」と書いて実際には「チョー」と読むようになったわけです。つまり、現代において「歴史的仮名遣い」の文章を読む時は、原文に対して平安時代初期から現代までの日本語の音変化の歴史を反映させた上で読んでいるわけです。言語の音変化というものは、多くの場合において整然とした規則的なものであり、「歴史的仮名遣い」を読む上で必要な「平安時代初期から現代までの日本語の音変化」というものも、若干の例外はあるものの概して規則的で、多くの人は歴史的仮名遣いを無意識的に現代語読みできるし、読み方の法則を文字化することもそう難しいことではありません。

ところが、奈良時代以前の上代日本語を「歴史的仮名遣い」で読む場合には、「平安時代初期以前の日本語の音変化」をどう扱うかが問題となります。上代日本語が平安時代の中古日本語になる過程ではいくつかの変化が起こっていますが、上代日本語を読む場合、「上代→中古の音変化」を適用し、その上で通常の「中古→現代の音変化」を適用すべきか、それとも「上代→中古の音変化」は無視して「中古→現代の音変化」のみを適用すべきか、という問題があります。前者は、別の言葉で言えば「上代語特有の表現を、その後継に相当すると思われる中古語に置き換えて読む」ということであり、後者は、「仮に平安時代初期に上代語と同じ綴りの単語があったとしたら、それは現代音ではどう読むか」という視点で読むということになります。

上代日本語→中古日本語での濁音化

現代の仮名表記で容易に分かる、上代日本語から中古日本語への変化としては、それまで清音だったいくつかの音が濁音になる、というものがあります。例えば「黄葉」は上代日本語で「もみち」と最後の「ち」が清音であったものが、中古日本語では「もみぢ」と濁音になります(なお、古文では濁点は表記しないことも多いですが、ここでの問題とは別問題です。以下、「仮に濁音を完全に表記した場合はどうなるか」という前提で話を進めます)。

では、上代日本語の「黄葉」すなわち「もみち」は、一体どう読むべきか。方法は二つあります。ひとつは、「もみち」をそのまま「モミチ」と読む方法で、もうひとつは、上代日本語から中古日本語での音変化を反映させて「もみち」を実際には「もみぢ」と書いてあるように読む、すなわち「モミジ」と読む方法です。どちらを取るべきかは、個人の趣味の問題かもしれませんが、「もみち」と清音で書いてあるのに濁音で「モミジ」と読むのはどうも気味が悪く、上代日本語では最後の「ち」は清音だったという情報がせっかく含まれているのだから、そのまま「モミチ」と読んであげたいようにも思えます。

上代日本語の「しのふ」はどう読むべきか

別の単語を取り上げましょう。上代日本語では「偲ぶ」は「しのふ」で、最後の「ぶ」は清音でした。この「しのふ」の読み方のひとつは、上代日本語から中古日本語での音変化を反映させて「しのぶ」とし、「シノブ」と読むことです。では、上代日本語の発音を尊重して「ふ」を清音で読む場合はどうなるでしょうか。

ここで、歴史的仮名遣いでは、語中の「は行」は、若干の例外を除いて全て「わ行」で読まれるという法則があります。この法則を摘要すると、「しのふ」は「しのう」になります。さらに「おう」は長音の「オー」になるので、「しのふ」は「シノー」と読むことになります。「シノブ」と「シノー」、全く同じ単語のはずなのに、随分雰囲気が違ってしまいます。そもそも上代日本語の発音を尊重して「ふ」を清音にとどめておいたはずなのに、その後の音変化を摘要して「ふ」を「ウ」あるいは「オー」としてしまうことに何の意味があるのでしょうか。

では、「しのふ」の「ふ」を、上述の法則にある若干の例外というのを摘要させて、「シノフ」と読むのはどうでしょうか。一見良さそうにも見えますが、実際に発音してみると、日本語として何か不自然です。そもそも語中の「は行」が「わ行」にならない若干の例外というのは、ほぼ「母(はは)」の一語に限られ(「父(ちち)」などからの類推でハ行にとどまったと考えられます)、その他の語中にある「ワ行にならないハ行」は合成語の類です。「母」を「ハワ」ではなく「ハハ」と発音するのは、例外中の例外と言えるでしょう。この例外中の例外とも言える事例を「しのふ」の語尾の「ふ」にも摘要するというのは、どうも不自然さが拭えません。

では最初に戻って中古日本語の発音を反映させて「シノブ」はどうかというと、これも「しのふ」と書いてあるのに「しのぶ」と書いてあるように読まないといけないわけで、やはり違和感があります。結局のところ、「しのふ」はどう読んでも違和感のある読み方しかできないわけです。

このように、上代日本語で書かれた万葉集を「通常の」読み方で読むには、なかなか難しい問題があります。とりあえず最初に示した動画においては、上記の「清音のハ行」の問題は、清音は清音のままとし、かつ歴史的仮名遣いの通常の読み方の法則を摘要することにしています。すなわち「しのふ」は、ここでは「シノー」と読んでいます。一方、「ゆふへ」(中古音「ゆふべ」)などは、「ゆふ+へ」の合成語と見なし、「ユーヘ」と読んでいます。

上代語・中古語共通の「語中の清音のハ行」問題

「語中の清音のハ行」については、上代日本語から中古日本語への音変化の問題の他にも、通常の歴史的仮名遣いの読みの上でも問題が生じ得ます。例えば百人一首の第一首目

  • 秋の田の かりほのいほの とまをあらみ 我が衣手は 露にぬれつつ

に、「かりほ」という言葉が出てきます。これは「刈穂」と「仮庵」をかけた言葉で、読みは「刈穂」は「カリホ」、「仮庵」は「カリオ」になります。百人一首のこの首の場合は「カリオ」と読むことが多いと思いますが、「カリホ」と読んでも間違いではないわけで、これを「カリオ」と読むのはよく詠まれる歌なので習慣的にそう決まっているだけと言えるでしょう。もしこの歌が百人一首ほどメジャーではない歌だったとしたら、どちらの読みを採用すべきかはおおいに悩むところです。

この問題は、万葉集の第一巻では、41番目の歌

  • くしろつく たふしの崎に 今日もかも 大宮人の 玉藻刈るらむ

が相当します。ここに出てくる「たふし」という言葉は、枕詞の「くしろつく」がかかる「手節」と、地名である「答志」をかけたものです。「手節」は「テブシ」の読みが普通ですが、「たふし」と振り仮名が振ってあれば「タフシ」と読むのが普通でしょう。「タ+フシ」の合成語なので、これを「トーシ」とはなかなか読めません。一方、「答志」とは現在の三重県の答志島(とうしじま)のことで、「答志」は「トーシ」になります。この歌の「たふし」を「タフシ」とするか「トーシ」とするかも難しい問題ですが、とりあえず冒頭の動画では「トーシ」としています。

上代日本語推定音での万葉集

いろいろと解決困難な問題のある万葉集の「通常の」読みに対し、上代日本語の推定音での読みは、必ずしも難しいものではありません。万葉集は、それが書かれた当時の日本語、すなわち上代日本語の発音に基づく表記法で書かれています。最初にも述べたとおり、上代日本語の具体的な発音については諸説ありますが、その中のどの説を採用するかを決めてしまえば、あとはその説どおりに読めば良いだけです。

とりあえずここでは、「ア行のエ」と「ヤ行のエ」の区別を復元した上で(万葉集第一巻に出てくる「エ」はすべて「ヤ行のエ」)、上代日本語の推定音を以下のようにしています。

  • 母音は現在音と同じ「ア、イ、ウ、エ、オ」の五母音。
  • サ行は破擦音の「チャ、チ、チュ、チェ、チョ」。
  • タ行は「タ、ティ、トゥ、テ、ト」。
  • ハ行は破裂音の「パ、ピ、プ、ペ、ポ」。
  • ヤ行は「ヤ、イ、ユ、イェ、ヨ」。
  • ワ行は「ワ、ウィ、ウ、ウェ、ウォ」。

なお、上記の推定音は、その個々のものについては、いずれも一定の根拠のあるものですが、上代五母音説や、サ行破擦音説、ハ行破裂音説については異説もあり、上記のような発音体系がその全体として妥当かどうかとなると、根拠はかなり薄くなります。

特に、上代日本語の母音の数については八母音説が有力であり、ここで敢えて五母音としたのは、八母音の復元が容易ではない、動画作成に使った音声合成ソフトが現代日本語の五母音にしか対応していないといった技術的問題を、五母音説を隠れ蓑に回避した側面が強いです。

上記の推定音は、「私の説では上代日本語の発音はこうだ!」と主張するものではなく、「歴史的仮名遣い」から復元しやすい、現代音との違いが出やすいなど、多分に便宜的な事情で採用したものだということをご了承ください。

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2014年3月25日(火)

万葉集,上代日本語,歴史的仮名遣い