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2013年9月16日(月)16:49(+0900)

日本語では清音と濁音がなぜ同じ文字か?

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ご存知のとおり、日本語のひらがな・カタカナでは、清音と濁音を同じ文字で表します。

たとえば「ta」の音を表すひらがなは「た」ですが、これを濁音にした「da」は同じ「た」に濁点をつけた「だ」で表します。濁点は古くは用いられておらず、「ta」も「da」も同じ「た」の文字で表記していました。現在でも和歌などでは、人によっては濁点を用いない表記を使っています。

例えば英語の表記に用いられているラテン文字では、タ行の子音は「t」、ダ行の子音は「d」で、全く別の文字を使います。私の知る限りでは、世界中の清音と濁音を区別する言語の文字で、清音と濁音を同じ文字で体系的に表すというものは他に例がなく、どうして日本語の文字は清音と濁音が同じ文字なのか以前から気になっていました。

日本語は元々清音と濁音を区別していた

文字の上で清音と濁音を区別しない理由のひとつの可能性として考えていたのは、日本語には元々清音と濁音の区別が無かった、ということです。

日本語の連濁は、清音と濁音の関係の深さを物語っていますし、日本語の周囲を見渡してみると、中国語(普通話)、韓国語/朝鮮語(異音としては清濁が現れる)、アイヌ語にはいずれも清音と濁音の区別がありません。こういったことを考えると、日本語も元々は清音と濁音の区別が無かったのでは、という考えは一見それっぽく見えます。

しかし、ひらがなやカタカナで清音と濁音の区別をしないのはあくまで後世に生じた現象であり、ひらがなの成立以前の万葉仮名では清音と濁音は別の文字で明確に区別されているらしいです。日本語の音韻的にも、連濁など一部の規則的なものを除いて、素人考えでは清音と濁音が同じ音から生じたと考えるのは困難で、例えば「蚊(カ)」と「蛾(ガ)」が同じ「カ」という単語から派生したとはどうも考えられません。

日本語には古くから清音と濁音の区別があったようです。

日本語表記から清音と濁音の区別が消失した理由

上述のとおり、万葉仮名では清音と濁音は明確に区別されていたようですが、万葉仮名から派生した文字であるひらがなでは清濁の区別は消えてしまいました。これには、当時の中国語の音変化が関係しているものと思われます。

現代の標準中国語(普通話)には清音と濁音の区別がありませんが、かつての標準中国語では清濁の区別が存在していました。現代の中国語でも、南方の方言には清音と濁音を区別しているものがあります。

標準中国語から清音と濁音の区別が消滅したのは、概ね唐の時代の初期頃、日本で言えば飛鳥時代の頃のようです。漢字の音読みのうち、古くから伝わっている音である呉音には、古代中国語の清濁の区別に由来する清音と濁音の区別がありますが、奈良時代に新たに導入された漢音ではそれが消滅し、全て清音になっています。

つまり、元々の漢字(=万葉仮名)には清音と濁音の区別があったものの、それがひらがなとしてまとまる前に当の漢字から清濁の区別が消えてしまったため、後に成立したひらがなでは清音と濁音を同じ文字で表すようになってしまった、ということです。

ただし当時の中国語では、元々鼻音であった音が濁音に近い音になっていたようで、呉音で鼻音(ナ行、マ行)であった音が漢音では濁音(ダ行、バ行)となったため、漢音にも日本語音としての清音と濁音の区別自体はあります。

中国語での清濁消滅の影響

なお、中国語のほうでは、清音と濁音の区別が消えた代わりに、それらに対応する形で声調に「陰陽」が生じていました。当時の中国語には、元々は「平声、上声、去声、入声」の四つの声調(四声)がありましたが、それぞれが陰陽に分裂したため、理論上は「陰平、陽平、陰上、陽上、陰去、陽去、陰入、陽入」の八つの声調が生じたことになります。ただし標準中国語では、去声は陰陽に分かれなかったか分かれてもすぐに区別しなくなったようで、また陽上も去声に吸収されてしまい、更に後の時代に入声も消滅して他の声調に吸収されてしまったため、結果的に「陰平(第一声)、陽平(第二声)、上声(第三声)、去声(第四声)」という現在の四声になりました。

中国語中古音の四声と普通話の声調
四声 四声×陰陽 普通話
平声 陰平 陰平(第一声)
陽平 陽平(第二声)
上声 陰上 上声(第三声)
陽上 去声(第四声)
去声 陰去
陽去
入声 陰入 それぞれ
陽入 去声、陽平

声調の陰陽自体は、清濁が消滅したか否かににかかわらず全ての中国語方言で生じたようで、清濁の区別を残す南方の方言にも声調に陰陽の区別があります。また、南方の方言は平上去入×陰陽の八つの声調を標準中国語に比べ概してよく残しており、これら八つの声調全てを保存している方言もあるようです。

ひらがなの成立

以上より、ひらがながどのようにして生じたかを考えます。

元々の万葉仮名では、漢字に元々あった清音と濁音の区別にしたがい、清音、濁音、鼻音をそれぞれ別々の文字で表していました。ひらがなも、根本的にはこの万葉仮名に基づいており、ひらがなの鼻音は万葉仮名の鼻音、つまり漢字に元々あった鼻音に由来しています。

しかし、後に新しく伝わった漢音では清音と濁音の区別がなくなっていました。そこで漢字による日本語表記でも、鼻音については(漢音における鼻音→濁音の変化は無視して)従来の表記を続ける一方、清音と濁音については、当時の最新の漢字音にならって、両者を表記する漢字をお互いに融通しあえるようにしたわけです。

漢字の清濁と呉音・漢音・かな・普通話
清濁 呉音 漢音 かな 普通話
無気清音(全清) 清音 清音 清音・濁音 無気音
有気清音(次清) 有気音
無気濁音(全濁) 濁音 無気音
鼻音(次濁) 鼻音 濁音 鼻音 鼻音

間もなく清音と濁音を表す文字は、二つの文字の組がお互いに表記を融通しあうというよりも、一つの文字の組が清濁二つの音を表すととらえられるようになり、単なる異体字の中に埋もれていきます。このようにして現在のひらがなに通じる文字体系が成立し、カタカナもひらがなの音体系にならって整備されることになります。

清音と濁音の区別は、後に新たに濁点の有無によって表されるようになります。近代に至って変体仮名が整理されると、既に遠い昔に異体字の中に埋もれた清濁をあらわした文字の最後の名残りも、ついに完全に消滅しました。

清音と濁音の表記に同じ文字を使い、濁点の有無で区別する現在の日本語のひらがな・カタカナは、こうして成立したわけです。

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人文科学,日本語,文字,言語,漢字,中国語