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2013年1月07日(月)02:59(+0900)

上根峠と旧々道ほか(安芸高田市八千代町)

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昨日の根野飛行場の続きで、今回は上根峠周辺の訪問記です。

上の地図で示しているΩ型の曲がりくねったルートが上根峠の旧道で、Ω型の部分が峠にあたります。南西から伸びている根の谷川(瀬戸内海側)沿いの谷がここで北西に方向を変え、旧道がΩループを描く必要があるような大きな段差を経て簸ノ川(日本海側)沿いの平地になっています。

上根峠は、広島県の中でも特に南側まで日本海側の水系が食い込んでいる場所ですが、かつては更に南側まで日本海側の水系だったようです。現在よりも長かった簸ノ川はその分水量も多く、それが現在の八千代町の比較的広い平野部を形成することになりました。しかし、その後南側から根の谷川が侵食谷を伸ばしていき、ついには現在の上根峠より南側を簸ノ川から奪い取り、現在目にするような上根峠の地形ができたようです。

上根峠の河川争奪については、国土交通省中国地方整備局太田川河川事務所の以下のページが分かりやすいです。

河川争奪の非常に分かりやすい例であり、また見るからに交通の難所である上根峠の自然史・交通史については、この他にもインターネット上に多くの情報が載っています。とりあえず少し検索して出てきたサイトのいくつかを紹介させていただきます。今回の上根峠訪問でもいろいろと参考にさせていただきました。

個人的には、上根峠は芸備線とのかかわりでも興味があります。芸備線は、元々は広島から現在の国道54号線沿いに吉田を通り三次に至る予定でしたが、当時の技術では上根峠を越えることができず、現在の三篠川沿いのルートで建設されることになりました。かつての毛利氏の城下町で古くから高田郡の中心地として栄えていた吉田ですが、鉄道のルートから外れることに対しては非常に危機感をつのらせており、どうにか吉田に鉄道を通そうとするもついに実らず、現在のルートでの芸備線の開通後は実際に発展から取り残されてしまった時期もあったようです。一方の芸備線のほうも、高田郡の中心地である吉田を通れなかったために潜在的な需要に制約が出てしまい、後にバスが進出してくると芸備線は劣勢に立たされます。芸備線が現在に至るまで主要とは言えないローカル線であるのは、上根峠という障壁に阻まれたことが元々の原因であると言えます。もしも上根峠経由の鉄道が存在していたら、という設定の架空鉄道を、子供の頃から何度も考えたことがあります。

土曜日のお昼過ぎ、広島市内からバスで上根峠方面に向かいました。バスは広電バスが、日中は概ね一時間に一本あります。

バス車内の路線図
バス車内の路線図

行き先については、漠然と「上根峠を中心に、できれば根野飛行場も」くらいに考えていたので、具体的にどこのバス停で降りるかは考えておらず、バスの車内でも路線図の写真をメモ代わりに撮ったものの降りるバス停については検討さえしていませんでした。

上根バイパスと別れる旧道
上根バイパスと別れる旧道

可部、三入、大林と国道54号線を北上してきたバスは、浜が谷バス停付近で上根バイパスと別れ、旧道に入ります。上根峠を通る路線バスは多分全て旧道経由です。

旧道の中大林バス停付近
旧道の中大林バス停付近

旧道を上根峠方面に向かいます。上根バイパスがメインルートとなっている今では旧道を通る車は少なく、落ち着いた雰囲気です。

旧道の上根峠手
旧道の上根峠手前

可部から上根方面に向かって北東にほぼ一直線に続いてきた根の谷側沿いの谷は、上根峠の手前で90度向きを変え北西に向かいます。谷底の道はかなり狭くなっています。

旧道の上根峠手
上根峠を登るバス

根の谷川に沿って谷底を這っていた旧道は谷の奥で180度向きを変え、今度は谷の斜面を登っていきます。

畑入口バス停にて
畑入口バス停にて

谷を上り詰めると、簸ノ川沿いの平坦な場所に出ます。サミットを上りつめたあたりで「上根峠」という名前のバス停を過ぎたので、何となく次の畑入口というバス停で降り、まずは根野飛行場を探してみることにしました。歩き出して初めて、根野飛行場に行くならもっと先までバスに乗っておいても良かったと後悔しましたが、昨日書いた事情により、結果的にどこで降りても最終的な結果はあまり変わらなかったかもです。

明治三十七年戦役(日露戦争)の碑
明治三十七年戦役(日露戦争)の碑

吉田側にしばらく歩いたところにあった、かつて学校ではなかったかと思われる広場の片隅にあった石碑。根野飛行場関連の何かかもと思いましたが、「明治三十七年戦役」(日露戦争)のものでした。なお、昔の航空写真を見ると、この広場が昔の根野小学校だったようです(現在の根野小学校はもう少し高い場所にある)。

上根と下根の境界付近
上根と下根の境界付近

広場の少し先の道路東側にあった、何となく意味ありげな整地部分。他では見かけない石組みの側面で、これが飛行場跡ではないかという気がしてきました。しかし、そんなに古そうには見えない、この少し吉田側で川を渡っている、道は上から見れば直線状だがやや平坦ではない等、疑問点も多くありました。帰宅後の調査により、結局これは飛行場とは特に関係無さそうだと分かりました。

根野地区土地改良記念碑
根野地区土地改良記念碑

上根バイパスと再び合流しもう少し先まで進むと、根野地区の土地改良記念碑がありました。土地改良の経緯を示した文もあり、戦前から土地改良計画があったものの戦争で一時中断となったという経緯等も書かれていましたが、根野飛行場につながりそうな情報は特に書かれていませんでした。帰宅後の調査では根野飛行場の南端はここよりも更に北側であり、この土地改良と根野飛行場との間には場所的なオーバーラップは特に無いのかもしれません。

下根の国道54号線
下根の国道54号線

更にもう少し吉田側に進むと、今まで国道54号線と概ね同レベルだった田畑の標高が急激に下がってきました。恐らく飛行場の北端を過ぎたのだろう、と思ってここで引きかえしましたが、実際には飛行場の南端がこの数百メートル先であったことは、昨日の日記に書いたとおりです。

畑入口バス停に帰還
畑入口バス停に帰還

次の目的地は上根峠の旧々道。現在の旧道より前にあった石畳の道で、昭和40年代発行の「高田郡史」に今でも僅かに石畳が残っている旨の記述があったので、「高田郡史」から更に40年を経た現在でも何か残っているかもしれないという期待を持っていたのですが、冒頭に挙げたリンク先のページのとおり、現在は当時を記念する碑が設置されているようです。来た時に降りた畑入口バス停で広島方面のバスが来そうな時刻になったので、このバス停から再びバスに乗ることにしました。

上根峠より眼下の旧道を見下ろす
上根峠より眼下の旧道を見下ろす

本日二度目の上根峠をバスで下る。眼下に谷底の旧道が見えます。

根の谷バス停付近
根の谷バス停付近

上根峠バス停の次の、谷の奥付近にある根の谷バス停でとりあえず下車。これから上根峠の散策です。

潜龍峡ふれあいの里
潜龍峡ふれあいの里

バス停から根の谷川を挟んだ対岸には、「潜龍峡ふれあいの里」という広場がありました。なお、このあたりは谷底の日陰で、私のデジカメでは露出補正無しで写真を撮ると露出オーバー気味になる環境でしたが、面倒なので補正をかけずそのまま写真を撮りました。なのでここから先、露出オーバー気味の写真が多いですがご容赦ください(汗)

根の谷川沿いを歩く
根の谷川沿いを歩く

根の谷のバス停が思ったより谷の奥のほうにあったので、とりあえず広島方面に向け旧道を歩きました。この写真は一度空に向けてシャッターを半押しにしてから撮ったので、比較的良好な露光になりました。

根の谷川の谷
根の谷川の谷

根の谷川が90度折れ曲がる付近は、特に谷の幅が狭くなっています。谷間に響き渡るのは根の谷川の流れ、そして時々旧道を通る車の音。そういえば峠の上では、簸ノ川の水の流れというのは全く記憶に残りませんでした。根の谷川と簸ノ川の侵食力の違いは音にも現れていると言えます。

上根・向山地域マップ
上根・向山地域マップ

旧道の対岸には旧々道と思しき道(アスファルト舗装)があり、これを根の谷川に沿って登っていくと食堂(日曜のみ営業、新年は1月20日から)があり、その脇に上根峠周辺の案内マップがありました。旧々道以外にも、何だかいろいろとあるようです。

中村憲吉の歌碑と旧県道の案内板
中村憲吉の歌碑と旧県道の案内板

食堂の少し先に中村憲吉の歌碑と旧々道(旧県道)の案内板があり、若干整備された旧々道が続いていました。

若干整備された旧々道
若干整備された旧々道
旧々道のヘアピンカーブ
旧々道のヘアピンカーブ

旧々道をしばらく進むとヘアピンカーブにつきあたり、ここから先は未整備でした。

草むした狭い旧々道
草むした狭い旧々道

ヘアピンカーブの先は草むしており、時々物好きな人が通っているようではあるものの、何の準備もしていない人が気安く通れる状況ではなく、少し進んでみてから引き返しました。未整備区間に入ってすぐのところは幅が狭く、2mも無いようでしたが、旧々道は元々は幅4mでバスも通っていたようなので、この部分は後に路面が崩れてこうなったのだと思います。

旧々道に転がる石
旧々道に転がる石

未整備区間の地面にはかなり大きめの石がある程度の密度で転がっていました。かつて石畳に使われていた石なのか、特にそういうわけではないのかは不明。

碑の前に復元されている旧々道の石畳
碑の前に復元されている旧々道の石畳

再び旧々道の入り口の碑に戻りました。碑の前に石畳が再現されていることに初めて気付きました(汗)

根の谷川沿いの谷を照らす午後の日
根の谷川沿いの谷を照らす午後の日

とりあえず今日は以上ということで帰路につくことにし、根の谷川に沿ってアスファルト舗装の旧々道を広島方面に向かいました。谷が南西に向きを変える部分で、だいぶ傾いてきた日の光を浴びることができました。

霧切谷根の谷側入口
霧切谷根の谷側入口

旧々道が根の谷川を渡ってすぐのところに、再び根の谷川を渡る細い道があり、渡ってみると「霧切谷」(キリキリ谷)の案内がありました。ここを登ると350mほどで上根に出られるようです。車両の通れる旧々道ができる前は恐らくこれが出雲街道の本道だったのでしょう、旧々道に対して旧々々道と言うべき存在です。バスまで時間があるので、登ってみることにしました。

霧切谷の道
霧切谷の道
霧切谷中間点
霧切谷中間点

しばらく進むと、「霧切谷中間点」との看板がありました。思ったより早く行程の半分が過ぎたようです。バスには十分間に合いそうです。

霧切谷の道
霧切谷の道

中間点よりも先では、道に立派な手すりがついてました。ただし、その分足元はより一層落ち葉に埋もれていました。

霧切谷より
霧切谷より
霧切谷の案内板
霧切谷の案内板

霧切谷を登りつめると、霧切谷についての案内板がありました。戦時中のバスは木炭バスで力が弱く、乗客を乗せたままでは上根峠が登れないので乗客はバスから降りて霧切谷を歩いて登っていたそうです。

霧切谷上根口付近から根の谷川方面を望む
霧切谷上根口付近から根の谷川方面を望む
霧切谷上根口付近の集落
霧切谷上根口付近の集落
上根峠と断層の案内板と謎の穴
上根峠と断層の案内板と謎の穴

霧切谷を登りきり、旧道と合流した近くの道路脇の山肌に穴が開いていました。近くに説明版があったので見てみましたが、上根峠の地質に関するものであり、穴についてのものではありませんでした。この穴は戦時中に掘られた防空壕か何かでしょうか?

側溝を広島方面に流れる水
側溝を広島方面に流れる水

上根の集落が始まってすぐのあたりは、坂は広島側に下るようになっています。側溝を流れている水は瀬戸内海に流れ込むのだと思います。

サミット付近の側溝
サミット付近の側溝

もう少し吉田側に行くと坂はゆるやかになり、広島側に下っているのか吉田側に下っているのか分からなくなります。サミット付近ということもあってか、側溝は湿ってはいるものの水は流れていません。ここに降った雨は、日本海側に流れるのでしょうか、瀬戸内海側に流れるのでしょうか。

上根峠バス停
上根峠バス停

程よい時間に上根峠バス停に到着。ここから本日三度目の上根峠を下り、広島に帰ります。

上根峠バス停より広島方面を望む
上根峠バス停より広島方面を望む

上根峠バス停周辺は、老年期地形の平野部にあるのどかな集落といった趣きですが、このすぐ先には壮年期風の深い谷があります。そう思うと、少し不思議な気分になる場所です。

可部駅構内
可部駅構内

帰りは可部駅でバスを降り、可部線に乗り換え。そのままバスに乗っても帰れるのですが、(朝食が遅くて)昼食を食べておらずお腹が減っていたのと、久々に可部駅から可部線に乗ってみたかったのとで、可部駅のキオスクでおやつ兼昼食としてカレーパンとホット紅茶を買い、電車で帰路につきました。