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芸軌社公式ブログ

2013年1月05日(土)23:37(+0900)

根野飛行場(安芸高田市八千代町下根)

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新年あけましておめでとうございます。今年も芸軌社株式会社をよろしくお願い致します。

今日は、安芸高田市八千代町の上根周辺に行きました。主な目的は、上根峠と根野飛行場です。

中国地方において、日本海側と瀬戸内海側の分水嶺は原則として中国山地、すなわち山陽と山陰の県境ですが、広島県においては日本海にそそぐ江の川が中国山地をすり抜けて県境の南側にまで伸びており、広島県内の相当な領域が日本海側の水系に属しています。広島市から安芸高田市に入ってすぐの場所にある上根峠は、日本海側と瀬戸内海側を分ける分水嶺のひとつになっています。

上根峠には、近くの八千代町下根にあったという根野飛行場とあわせて興味があったのですが、このお正月に親の実家に行った時に見てみた「高田郡史」で上根峠や根野飛行場についてより詳しい情報を知ることができ、是非行ってみようということで行ってみました。

今回はまずは根野飛行場についてです。なお、後に述べる事情により、今回は根野飛行場そのものは探索し損ねています(汗)

根野飛行場は、第二次大戦末期に旧海軍が現在の安芸高田市八千代町下根(当時は高田郡根野村下根)に建設していた飛行場です。戦局も切羽詰まった1945年に特攻隊用の飛行場として、現在の国道54号線の直線部分を利用して建設が開始され、土地の接収や、周辺の学童をはじめとしたかなりの動員が行われたようです。近くの山肌には飛行機を隠すための横穴が掘られ、建設は8月6日の広島原爆後も15日の終戦に至るまで継続されましたが、結局完成はしませんでした。結果的に飛行場として利用されなかったことは、この地から若者が若い命を散らしに飛び立たなかったという意味では幸いなことだったのかもしれません。

その根野飛行場のあった場所を、子供の頃から親の車で幾度となく通っていた私ですが、根野飛行場の存在については最近まで全く知らず、数年前に本か何かでたまたま見かけて初めてそういうものがあったことを知りました。しかし、存在を知ってからもそれ以上の情報はなかなか見当たらず、このお正月に見た「高田郡史」では建設に伴う郡内での出来事についていろいろ書いてあったものの、飛行場の具体的な場所については、下根にあった、現在の国道54号線の直線部分を利用した、という既に得られていた情報以上のものは得られませんでした。下根付近では国道54号線は直線区間がかなり長く、「直線部分」だけでは具体的な場所までは分かりません。

そして今日の上根峠周辺訪問ですが、上根峠を巡ることを主に考えて根野飛行場についてはついで程度に思っていて全然準備をしてこなかったこともあり、結果的に根野飛行場に関する現地での収穫はありませんでした。帰宅後、国土地理院国土変遷アーカイブで昔の航空写真が見られることを思いだし、戦後間もなくに米軍が撮った下根周辺の航空写真を見てみたところ、今日現地に行って「根野飛行場関連の何かかも知れない」と思ったものは、飛行場とは少なくとも直接の関連は無さそうだということが判明しました。

さて、現地での収穫は無かったものの、帰宅後見た国土変遷アーカイブの航空写真では、根野飛行場の跡地と思しきものを確認することができました。


大きな地図で見る

根野飛行場は、上の地図に示した国道54号線のA-B間およびその西側に、長さ約1.2km、幅約60mで広がっていたようです。

国土変遷アーカイブにある1948年米軍撮影の航空写真では、上の地図で示した部分に何となく飛行場のようなものを確認することができます。北東のほうにはかなり明確に滑走路のようなものがあり、南西のほうにも曖昧ですが周囲と雰囲気の違う地帯が伸びています。当時の軍用飛行場の規模を調べてみると、長さ1200m、幅60mのものが多かったようですが、この航空写真から伺える滑走路らしきものの北東部分の幅は約60m、長さは南西の曖昧な部分まで含めると約1.2kmで、これを根野飛行場とみなしてまず間違い無いものと思われます。

国土変遷アーカイブでは、飛行場跡と明確に分かる航空写真は戦後間もなくの米軍の写真のみですが、現在の航空写真をgoogleマップで見てみても、特に飛行場の北東部分については、何となく土地利用が周辺と違っている気がします。ひょっとしたら現在でも当時の何かが残っているかもしれません。また、飛行機を隠すため山肌に掘られたという横穴は、飛行場北部の神社のある小山が滑走路にほど近く、また建設が進んでいたと思われる場所とも合致しているので、横山はこの小山にあったのかもしれません。

安芸高田市八千代町下根
安芸高田市八千代町下根。この数百メートル先から根野飛行場の予定地は始まっていたものと思われる。

なお、今回の上根峠周辺訪問では、広島側から根野飛行場が始まると思しき場所の数百メートル手前まで行き、そこで折り返しました(汗) ここに至る前に何となく飛行場の痕跡に見えなくもないものを道路の東側に見つけ、そこから続いていた平坦で幅の広いように見える土地がこのあたりで一旦途切れていたので、飛行場の北端は多分過ぎただろうと思ってしまいました。実際には飛行場はこの更に先、道路の西側に広がっていたわけです。

今日は、根野飛行場そのものに現地で辿り着くことはできませんでしたが、結果的に(帰宅後)飛行場に関する新たな知見が得られました。今後は、高田郡史等も読み返しつつ、また近いうちに下根を訪れてみたいと思います。