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芸軌社公式ブログ

2012年9月5日(水)23:41(+0900)

丹後に残る芸備鉄道の気動車

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9月の最初の土日は、京都府の丹後を中心とした地域に行きました。

今回の一番の目的は、与謝郡与謝野町(旧加悦町)にある加悦SL広場。ここには、1985年に廃止された加悦鉄道で活躍していた車両を中心とした様々な車両が保存されていますが、その中には広島に縁の深い車両も含まれています。

加悦鉄道キハユニ51
加悦鉄道キハユニ51。その起源を芸備鉄道キハユニ18に持つ。

加悦SL広場に保存されている加悦鉄道キハユニ51ディーゼルカー。この車両は、元々は現在の芸備線の前身である芸備鉄道が1936年(昭和11年)に製造したガソリンカーです。

加悦鉄道キハユニ51の説明板
加悦鉄道キハユニ51の説明板。

1929年(昭和4年)、当時広島駅~備後庄原駅間を運行していた芸備鉄道は、当時徐々に広まりつつあったバスに対向するために、「線路上を走るバス」としてガソリンカーを導入します。ガソリンカーは、従来の蒸気機関車牽引の列車に比べてきめ細かな運用が可能とされ、芸備鉄道では新たにガソリンカー専用の駅を設置するなどしました。

加悦鉄道キハユニ51
加悦鉄道キハユニ51。荷物室側より。

登場当初のガソリンカーは、エンジンをかけても一向に前に進まず、後ろから駅員に押してもらってようやく動き出したり、線路の途中でエンストして立ち往生してしまったりと、なかなか運用には苦労したようです。しかし、その後はガソリンカーの性能も急激に向上し、芸備鉄道はガソリンカーの増備を続け、ガソリンカーは広島から備北方面への鉄路の主役となります。芸備鉄道は1930年からは当時貨物専用だった鉄道省の宇品線でも旅客営業を開始し、ガソリンカーが旅客輸送を担いました。

芸備鉄道は1937年(昭和12年)に国有化され芸備線となりますが、芸備鉄道はその前年までガソリンカーの増備を続け、最終的には19両のガソリンカーを保有していました。加悦鉄道キハユニ51は、1936年(昭和11年)、芸備鉄道18番目(最後から2番目)のガソリンカー「キハユニ18」として製造されました。

加悦鉄道キハユニ51車内
加悦鉄道キハユニ51車内。

ガソリンカーの運行は国有化後の芸備線でも続けられ、芸備鉄道のキハユニ18は「キハニ40921」と改称されて活躍しました(※「キハユニ40921」とする説もネット上に見られる)。しかし、折からの戦時色が次第に濃くなっていき、芸備線でのガソリンカーの運転は燃料統制により1941年(昭和16年)に廃止されてしまいます。宇品線は、軍用路線ということもあってかその後もガソリンカーの運転が続けられたようですが、こちらも終戦の数か月前、1945年(昭和20年)の3月末限りで営業運転を終了します。

加悦鉄道キハユニ51車内
加悦鉄道キハユニ51車内。荷物室側を望む。

戦後も、芸備線と宇品線はしばらくは蒸気機関車のみの運転の期間が続き、その間に旧芸備鉄道のガソリンカーは地方の私鉄に払い下げられるなどして四散します。旧芸備鉄道キハユニ18ことキハニ40921も、山口県の山陽本線宇部駅(当時は西宇部駅)から北に伸びていた船木鉄道に移り、同鉄道のキハニ51となります。なお、戦後は鉄道用ディーゼルエンジンが実用化したこととガソリン使用車両の危険性の問題等から、ガソリンカーのディーゼルカーへの改造が進み、旧芸備鉄道のガソリンカーもこの頃ディーゼルカーへと改造されていったようです。

加悦鉄道キハユニ51車内にある車両番号「40921」
加悦鉄道キハユニ51車内にある車両番号。国鉄時代の番号である「40921」が書かれている。

船木鉄道は1961年(昭和36年)に廃線となり、旧芸備鉄道キハユニ18ことキハニ51(※ネット上の情報によると、船木鉄道時代に「キハニ51」から「キハ51」に改称されたようである)は翌年加悦鉄道に譲渡され、同鉄道のキハ51として加悦鉄道廃止まで在籍しました。ただし、加悦鉄道廃止以前に既に定期運用からは外れていたようです。

キハ51は加悦鉄道の廃止後も大切に保管され、後に製造当初の姿に近い形に復元の上でキハユニ51に改称され、現在に至っています。

加悦鉄道キハユニ51の荷物室と郵便棚
加悦鉄道キハユニ51の荷物室と郵便棚。キハユニの「キ」は気動車、「ハ」は三等車(イロハの「ハ」。現在の普通車)、「ユ」は郵便車、「ニ」は荷物車を意味し、元々は三等郵便荷物合造車だった。加悦鉄道での現役時代には郵便・荷物の設備は既に撤去されており「キハ51」を名乗っていたが、同鉄道廃止後に復元された。

なお、加悦SL広場には他にもいろいろと歴史的な車両が保存されています。

加悦鉄道2号機関車
加悦鉄道2号機関車。元々は1873年(明治6年)、神戸・大阪間に西日本初の鉄道が開業した時に導入された12号機関車で、鉄道博物館の1号機関車の西日本版とでも言うべき存在。後に123号に改番され、さらに島根県の簸上鉄道(現在の木次線の前身)に払い下げられ同鉄道の2号機関車になる。その後、1925年(大正14年)の加悦鉄道開業時に同鉄道に移り、同鉄道最初の機関車となるが、番号プレート代を節約するため(?)に改番は行われず、加悦鉄道の機関車トップナンバーであるにもかかわらず「2号」を名乗ることになる。
ハ4975形客車(ハ4995)
ハ4975形客車ハ4995。1893年(明治26年)製造。座席ごとに扉があるという、鉄道客車初期のスタイルを受け継いでいる車両。加悦鉄道には1928年(昭和3年)に譲渡され1935年(昭和10年)まで使用、その後は倉庫として使われていたものを1970年(昭和45年)に復元したとのこと。
ハ4995車内
ハ4995車内。ベンチ状の席が枕木方向に並ぶ。席の上にはゴザが敷いてあり和風である。
加悦鉄道キハ101
加悦鉄道キハ101。1936年(昭和11年)製造。2軸+1軸という特殊な車輪配置を持つ。加悦鉄道が新製した車両であり、そのこともあってか他の車両よりも丁寧に扱われている気がした。
加悦鉄道DB201
加悦鉄道DB201。この車両には何故か案内板が無かったが、蒸気機関車の足回りを使って作ったというゲテモノ的ディーゼル機関車である。同様の蒸気機関車改造ディーゼルは、地方の小私鉄にいくらかあったようだが、実物が現存しているとは知らなかった。
加悦鉄道DB201の足回り
加悦鉄道DB201の足回り。ロッドで車輪に動力を伝える構造が蒸気機関車改造車であることを物語る。
加悦鉄道キハ08 3
加悦鉄道キハ08 3。加悦鉄道で最後まで走りつづけた車両の一つで、加悦鉄道名物だった。元々は旧国鉄が無動力の客車にエンジンを積んでディーゼルカーにしたもので、重い車体に非力なエンジンで勾配等に弱く国鉄としては失敗作だったが、全線がほぼ平坦な加悦鉄道では特に支障は無く愛用された。

丹後では、天橋立にも行きました。丹後に行くのはこれが初めてで、天橋立を見るのも初。宮島・松島は一応見ているので、これで日本三景を制覇したことになりました。

天橋立「飛龍観」
天橋立「飛龍観」。天橋立の南側にある天橋立ビューランドから眺めたもの。
天橋立「斜め一文字」
天橋立「斜め一文字」。天橋立の北側にある傘松公園から眺めたもの。

参考文献

  • 長船友則「宇品線 92年の軌跡」(ネコ・パブリッシング 2012年)